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オピニオン Opinion

令和5年度学士学位記授与式 告辞

壇上で告辞を贈る寳金清博総長

 本日、本学を卒業される2,423名の皆さん、ご卒業おめでとうございます。北海道大学を代表して、心からお祝い申し上げます。また、慣れない異国の環境の中で、言葉で言い尽くせない努力を重ね、本学を卒業されます留学生の皆さんに対しては、深い敬意を表し、更に大きな祝意をお伝えしたいと思います。
 また、皆さんを支えてこられたご家族、関係者の皆さまに対しても、心よりお祝いと御礼を申し上げます。さらに、この間、本学へのご支援をいただいた方々には、この場を借りて、深く御礼申し上げます。

 本日の卒業生の中で、大学を卒業して社会人になる方、大学院に進学される方、それぞれの進路があるかと思います。特に、大学院に進まれる方々は、大学教育から研究という新しい環境に移行することになります。従って、皆さんにとって、本日は、幼稚園教育、義務教育から始まった長い教育期間の大きな区切りを意味します。そう考えると、本日の学位記授与式は、これまでの人生で何度か経験した多くの卒業式や入学式とは異なり、皆さんの人生にとって、特別な意味を持つ区切りの式だと言えるのではないでしょうか。
 私も今から45年前、大学を卒業しました。その記憶はすでに曖昧なものです。しかし、その日の北大キャンパスの早春の光の眩しさ、卒業後の人生の行方に不安はありつつも胸が躍るような高揚感があったことは、今でも実に鮮明に覚えています。本日の卒業の日の記憶も、皆さんがこれからの人生においてそれぞれの時点で振り返る時、人生の大きな節目として、勇気や新鮮な決意を思い出させてくれるものに必ずなります。

 ここで、皆さんが本学で学んだ時期を短く振り返ってみたいと思います。皆さんの多くは、西暦2020年の入学、あるいは、2018年の入学の方々です。振り返りますと、この期間は、COVID-19によるPandemicのため、日常生活が大きく制限された2020年の年頭から2023年5月にWHOPandemic終結宣言を出すまでの約3年半と完全に重なっています。
 皆さんを含めて、前後数年の学生が、このPandemicの影響を最も強く受けた学年です。実際、入学式や卒業式に代表されるような対面での行事がほとんど中止となりました。本来、大学における高等教育の最重要な要素である学生同士や学生と教員のコミュニケーションは著しく阻害されました。

 そして、この間、私たちを取り巻く世界情勢は劇的に変化しました。一つ一つを取り上げることはしませんが、やはり、気候変動により、地球環境の持続可能性に対する脅威が明確に可視化された数年であったと思います。ウクライナ情勢では、核戦争の現実味に世界が震えました。あるいは、私たちの先人が、歴史の教訓から学んできた人道主義が、パレスチナ?ガザ地区の紛争などで瓦解する現実を目撃しています。さらに、科学技術面では、生成系AIが登場し、数百万年続いてきた人類の歴史における人間の知性のあり方に対して大きな衝撃が与えられ、私たちの日常を大きく変化させつつあります。
 3月29日に日本でも公開されると聞いていますが、原子爆弾の開発の中心になったロバート?オッペンハイマー博士の生涯を描いたアカデミー賞受賞の映画「オッペンハイマー」を、先日、見る機会がありました。この映画で示されたように、私たちは、今、オッペンハイマー博士らがロスアラモス国立研究所で約80年前に開発した核の時代に生きています。映画は、このオッペンハイマー博士の苦悩を描いていますが、これは、私たち、科学と先端技術に関わる、全ての者が向き合わざるを得ない重い課題でもあります。
 そして、この数年間に世界を席巻している人工知能も後世必ずや、世界の在り方の根幹を大きく変えた科学技術として振り返られるはずです。それが、原子爆弾を生み出した核分裂技術と同様に厳しく評価されるか、あるいは、その後の世界の繁栄と平和に寄与したものとして高く評価されるようになるかは私たちの手に委ねられています。中でも、ここにいらっしゃる若い皆さんにかかっています。
 さらに、我が国を見ると、「失われた30年」という言葉で代表されるように、世界での評価の中で、日本の順位の低下が顕著となった数年間でもありました。私たち、大学やアカデミアを見ても、日本の科学技術力は大きく低下して、世界での存在感は希薄になりました。
 さらに、少子化と超高齢化社会という、明確な打開策のない困難な課題が、日本の行方に暗い影を落としています。
 こうして見ると、今のこの時代に覆いかぶさっている重い空気は、先行きの見えない不透明感と不確実性です。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)から成るVUCAの時代です。VUCAは、世界全体で言えることですが、日本で際立っているのは、若い世代の自己肯定感の低さであり、先進国の中でも際立っています。
 私は、しかし、この日本の若い世代の自己肯定感の低さは、決して、否定的なものではないと思っています。むしろ、今、私が述べたように、若い世代が、コミュニケーションを遮断されたPandemicの時代に大学で学び、世界の平和的安定や地球の持続性が大きな危機に直面している事実を冷静に捉えている証であると思います。世界や日本の行方が極めて不透明で不確実であることを考えれば、近未来社会に対して、安易に肯定的になれないのは、当然のことであり、冷静な知性と理性のなせる業だと思っています。「自分に自信がない」のは、むしろ、この世界の課題を解決し、状況を打開し、未来社会に向けて変革を進めたいというAmbitionが厳しいVUCAの現実の壁の前で立ち止まらざるを得ないことによる当然の結果だと思っています。

卒業証書を授与する寳金清博総長

 昨年7月、北海道大学は2030年に向けた新たなビジョン、「HU VISION 2030」を発表しました。その中心的なビジョンは、大学が、教育?研究の卓越性?Excellenceを通じて、社会展開力?Extensionの起点、すなわちイノベーションの起点となるという新しい大学像です。そして、この「HU VISION 2030」実現に向けた最も重要なアクションの一つが、社会変革力を持ったグローバル人材の育成です。
 皆さんは、これまで本学で学んだ専門知識に加えて、これからの人生や仕事において必要なtransferable competenceを学んだはずです。これは、北海道大学の4つの基本理念である「フロンティア精神」「国際性の涵養」「全人教育」「実学の重視」そのものです。世界の行く末が、どれほど不透明で不確実であっても、皆さんがこの4つの基本理念から得た専門知識と広範な適応能力をもってすれば、必ず、未来を創造するフロントランナーになれると確信していますし、また、そうならなければならないと思います。

 本日の学位記授与式の最後に、本学の礎を築いた、北海道大学初代教頭であるW.S.クラーク博士の人生について、改めて、皆さんと一緒に確認したいと思います。なぜなら、彼の生き方は、150年の時間を経てもなお、この2024年の私たち、あなたたちの生き方に対する大きなinspirationだからです。
 クラーク先生は、今から約150年前に、アメリカ東海岸、ボストンに近い、マサチューセッツ農科大学の学長という揺るぎない高い地位にいました。そして、1876年、彼は、明治政府の依頼を引き受け、アメリカ大陸を横断し、命を懸けて太平洋を渡り、東京で英語を学んだ学生13名と共に、200年余りの鎖国により世界から遮断された極東の小国、日本、しかもその日本の最北の地、北海道にやってきます。当時の明治政府はまだ極めて不安定であり、また、当時の極東の地政学的状況は今以上に不透明でした。そんな時代に、クラーク先生がなぜ札幌農学校という小さな可能性に彼の大切な晩年を賭けたのかは、どう考えても、私には、理解することのできないものです。
 札幌農学校の礎を築くというミッションを成し遂げると、彼は、「Boys, be ambitious, like this old man!」という、実にシンプルで、心に突き刺さるメッセージを残して、札幌を去ります。その後、帰国したクラーク先生は、事業を起こしますが、不運も重なり、不遇のうちに、59才で、生涯を終えたとされています。
 しかし、これらのことから私たちが明確に読み取れるのは、彼の人生が、生涯を通じて、チャレンジそのものであったという事実です。クラーク先生の生涯は、学術や教育に留まらず、世界?社会を変えようとし続けたものであり、彼自身の言葉通りambitionに満ちた果敢な人生でした。
 そして、クラーク先生と彼に同行した教師たちが目指したグローバル人材育成の結晶が、新渡戸稲造であり、内村鑑三であり、宮部金吾です。そして、こうした先人のDNAを受け継ぐ後継者が、ここにいる皆さん一人一人です。
 皆さん、本日の学位授与式の終了後、是非、もう一度、中央ローンにある日本で最も良く知られている胸像であるクラーク像に立ち寄ってください。そして、彼の挑戦に満ちたambitiousな人生へ思いを巡らせてみてください。

 皆さんは、私たちの最高のロールモデルであるクラーク先生の「Be ambitious」の精神を胸に、学びを続け、挑戦を続け、勇気をもって、この困難な時代を堂々と歩んでください。
 卒業生の皆さんのご健康とご活躍を心から祈念して、私の結びの言葉といたします。