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北海道大学150年史編集室

【オンライン展示】

写真でたどる北大キャンパスの移り変わり 1940s-1960s

 1876年に札幌農学校が開校した当初、キャンパスは札幌の街中、札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)がある辺り(北1-2条西1-2丁目)であった。1903年、農学校付設の農場敷地であった北8条以北にキャンパスを移転する。現在の札幌キャンパスの始まりである。
 本オンライン展示では、1940年代、1950年代、1960年代、それぞれの時代を映し出す札幌キャンパスの様子や建物を写真で辿る。また、1935年に北大から函館高等水産学校として独立し、戦後1949年に改めて新制北大の学部へと改組した水産学部、その所在地である函館キャンパスの変遷も顧みる。
 あの日、あの時のキャンパスを散歩してみると、今と全く違う北大に、そして今と変わらない北大に出会えるかも知れない。


  1940年代の札幌キャンパス   1940年代の札幌キャンパス(5分20秒)
 戦前の北大は、農?医?工?理の4学部と予科?専門部からなり、札幌キャンパスにはこれらの教室?研究室に加え、農学部附属農場の施設、医学部附属医院の建物などが立ち並んでいた。1940年代に入ると、新たに超短波研究所、低温科学研究所、触媒研究所などの設置が進んだ。戦前の大学の建物は概して重厚な印象を受けるが、中でも1941年建築の低温科学研究所建物は一際目を引く荘重さであった。
 1945年の終戦に伴い、大学は制度、組織等の改革に取り掛かった。文系学部の新設なども実現したが、施設面では旧来の建物を転用?兼用をして対処する再出発となった。

  1950年代の札幌キャンパス   1950年代の札幌キャンパス(5分30秒)
 1949年に新制北海道大学が成立し、それに伴い、1950年に旧制の予科?専門部等が廃止となった。戦後の新たな組織である文系4学部は、廃止になった予科?専門部の校舎を転用した。また、戦争のため頓挫していた農学部本館第二期工事が進んだために空いた旧林学教室(古河講堂)は、新制大学1、2年生が学ぶ教養部の本館として転用した。同じく旧畜産学教室、旧農業経済学及農政学教室、旧水産学教室も教養部の教室として使用した。
 1950年代は、新組織が急増するものの、それに見合う建物新築は期待できず、既存の建物を転用してフル活用した時代であった。

  1960年代の札幌キャンパス   1960年代の札幌キャンパス(6分)
 1960年代、建物の新築ラッシュにより、札幌キャンパスは大きく様変わりした。既存の建物を使用していた文系4学部、教養部はそれぞれ新築建物に移り、工学部、医学部、同附属病院の建て替えも続いた。また、農学部から独立した獣医学部、医学部から独立した薬学部?歯学部は建物を新築した。
 特に、教養部の北18条への移転により、学生は北8条から北18条に至るメインストリート(中央道路)を常時行き交うようになった。また、獣医学部と低温科学研究所の新築建物は北18条以北に位置し、現在の北キャンパスの始まりを告げた。現在に続く、新旧の建物が入り交じる南北に長い札幌キャンパスの原型を形成した時代である。

  1940~1960年代の函館キャンパス   1940~1960年代の函館キャンパス(4分40秒)
 1907年札幌農学校水産学科に始まり、北大の附属水産専門部を経て、1935年に北大から独立した函館高等水産学校は函館にキャンパスを構えた。函館湾にほど近い、函館郊外の地である。1940年代初頭まで建物の建築が続き、キャンパスを形成していった。戦後、1945年10月から1947年1月まで進駐軍が全校舎を接収し、この間、進駐軍の失火による建物焼失の辛酸も味わった。1949年5月、北海道大学水産学部へと改組した後、1960年代に入り、順次、建物の建て替えが進んでいった。
 90年近い歴史を持つ函館キャンパスは、北大のもう一つのキャンパスとして、多くの北大生の学生生活を見送って来ている。

 最新更新日 2021/9/24